偶合するという奇妙
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期待と違っていたけれど、流華はやはりミステリアスだった。謎が多い、と言った方がいいかもしれない。子どものような無邪気さと、着物から覗く白い肌の美しさ。仕草は指先まで洗練されているのに、それが堅苦しさを感じさせないのは、ころころと変わる表情のせいだろう。
それが破壊屋の好みか?
いいや、それだけとは思えなかった。何か、破壊屋が流華にこだわるわけがあるはずだった。もっと、特別な理由が。
彼は落ちてきたメタルフレームの眼鏡を、中指で押し上げた。面白い謎にぶつかった、と心の中で笑う。あまり探りを入れるのは危険だと分かっているが、危険こそ退屈な日々を打ち破る活力となる。仕事の間の息抜きにはなるだろう。問題は、破壊屋がどう出るかということだけだった。
その出方にもよる。
とにかく、今日ここに来た価値はあったのだ。彼の好奇心をくすぐる、良い会見だったと言うべきだろう。彼はジャケットの胸ポケットに手を入れた。破壊屋が絡んできただけでも満足だったので、これで帰っても構わなかったのだが、流華の仕事振りを見てみるのもいいかもしれないと思って持ってきたものがあるのだ。
「ルカ、君に見て欲しいものがある」
ポケットの中を探りながら彼が切り出すと、流華は優雅にコーヒーを口にしてからそれに答えた。
「何でしょう」
「これが何の鍵だか分かるかい? 古いものらしいんだが、家の物には一切合わないんだ」
彼が取り出したのは奇妙な形の鍵だった。銀製のそれは台形の底辺から足を一本生やしただけの鍵で、一見すると何かの止め具に見えた。
「拝見します。あぁ……これはもしかして…………。少々お待ち下さい」
そう言うと流華は立ち上がり、彼に頭を下げてからピアノの裏を回って螺旋階段を上って二階へと消えた。三分ほどで流華が戻ってくると、その手には紺色のハンカチのような布でくるまれた何かを持っていた。流華は椅子に座ってから、それを布ごとテーブルに乗せた。
「お待たせしました。これをご覧下さい」
そう言って流華は彼の方にそれを差し出した。流華の手が布をめくると、皮バンドと銀金具の付いた懐中時計が現れた。文字盤は白く、ローマ数字で時刻が記されている。
「1935年にフランスで作られたものです。径は五センチ。昨年の冬、イギリスのコレクターから買い取りました。特に謂れのあるものではないので、修理してまで置いておこうとは思わなかったようですね。とても安く引き取ることができました。鍵をお借りできますか?」
彼が鍵を渡すと、流華は文字盤の硝子を開けて、丁度“Y”の上にある鍵穴に差し込んだ。
「ほら、合いました」
嬉しそうにそう言うと、流華は鍵を回した。そして鍵を外すと、時計は時を刻み始めた。流華は文字盤の硝子蓋を閉じると、今度は紋章の入った裏側を開けて見せた。そこでは大小の銀色の歯車が、複雑にかみ合って動いていた。時を刻む規則的な音が響く。それは心臓の鼓動にも似ていて、何処か人を安心させる。
「良い音ですね。買い取って正解でした」
流華は満足そうにそう言った。彼には歯車の良い音と悪い音という判別はし難かったが、どこかに不具合のある音には聞こえなかったのでそれで十分なのだろうと思った。
「イギリスのコレクターは、鍵がないから君に売ったのか?」
「いいえ。鍵は螺子を巻くだけのものですから、代用品もあります。それにそのコレクターは時計の装飾を鑑賞するために物をお集めですから、動いていなくても構わないのです。これは時計自体の装飾は地味ですが、時計を留める金具とベルトの装飾が珍しいので残しておいたそうです。ただ、コレクションを展示するためにお金が必要とかで、展示するまでもない品は売りに出されました。僕はネットオークションで動かなく、保存状態も悪い品を五点まとめてお引取りしました。これはその中のひとつです。この部分を見てください」
そう言って、流華は歯車の動いている裏側の中心部分を指差した。そこには大きな歯車の裏側に、小さな歯車がせわしく動いていた。
「歯車が二つ紛失していました。丁度当時と同じ部品をジャンク屋から仕入れることができたので、僕が直したのです。全体も大変汚れてしまっていたのですが、洗浄して随分綺麗になったのですよ」
銀黒色の時計は一見すると古びてただ汚いだけに思えた。しかし流華に手渡されてよくよく眺めると、その銀黒色こそがこの時計の持ち味であるように思えてきた。バンドもバンドと時計を繋ぐ金具も、そして彼の持っていた鍵も時計と同じ銀黒色で、それらは一体だということがよく分かった。
「またどこかに売るつもりで?」
それを商売としているのが流華堂だ。当然の問いに、口にした彼自身が驚いた。手にした時計からは、歯車の動く音が脈を打つように伝わってくる。
「そうですね、良い引き取り手を見つけるつもりでした。今度はきちんと螺子を巻いて、動かしてくれる方のところへ」
流華は形の良い小さな唇を引き締めて、綺麗に笑った。子どもっぽさが抜けて、性別はますます薄れて、人ではないようだった。
「これは偶然なのか? ネットで知り合っただけの僕が、君の引き取った時計の鍵を持っていた。そして今日、僕がこの鍵を持って、君に会いに来るなんて。勿論そのひとつだけが生産されたわけではないだろうから、この鍵がその品のものとは限らないだろうが」
そして決して交友関係の広くない彼と破壊屋が、揃って流華と知り合いだったということは、本当にただの偶然だろうか。
「君は偶然僕と知り合った。そうなのか?」
彼の問いに、流華は笑って答えた。
「僕は小さな鍵の行方までは知りませんよ。むしろ貴方がこの時計のありかを見つける方が簡単だったでしょう、走査屋さん」
からかうように言われて、彼はそれでも偶然を疑った。
「破壊屋はこの件に関与していないのか?」
「壊し屋さんが? えぇ、確かに走査屋さんのことはご存知の様子でしたが、時計や鍵のことなど何もおっしゃいませんでしたよ」
ここで彼を混乱させるためだけに、破壊屋が彼のことを調べるという愚行をするとも考え難かった。それに、ネット上で自分を探っている人間がいれば、彼がそれに気付かないはずがないのだ。流華の言うとおり、時計と鍵のこと、破壊屋と流華が知り合いだったことはただの偶然だった。それが彼の訪問と合ったことも、奇妙なことだが謀られたことではなかった。
「君は不思議な人だな、ルカ」
彼は何となく気が抜けて、溜息と共にそう呟いた。
「そうでしょうか。壊し屋さんにもよく言われるのですが、自分では分かりませんね」
流華は先程の蟲惑的な笑みではなく、最初のように子どもっぽく笑って見せた。
その後二人は他愛もない話をして、この初めての対談を楽しんだ。真夜中を過ぎて、時計が午前1時の鐘を打つと、彼は内ポケットに入れていた携帯端末がメールを受信したのを感じた。きっと幼馴染の少女が仕事を終えたのだろう。彼女は彼がこんな時間まで外出していることを快く思わないだろうから、そろそろ家に帰っておいたほうが得策だった。流華に暇を告げると、それでは、と流華は彼の車椅子を押して店の外まで出してくれた。
「今日はありがとう。楽しかった」
予想以上に、と彼は心の中で続けた。
「僕もです。あぁ……、これ、お持ち下さい。時々油を差して、動かすだけで十分ですから」
そう言って差し出されたのは、あの銀黒色の懐中時計だった。鍵は彼の胸ポケットに入っている。時計など彼には不要なので、今まで腕時計も持ったことがなかった。しかし、今日の奇妙な偶合の記念にでもしようかと彼は思った。思わずあの時計の鼓動に安心感を得たことを思い出すと、決して悪い買い物ではない。
「それでは買い取るよ。これも何かの縁だろう」
彼がそう言うと、流華は微笑みながらも彼の手に懐中時計を握らせた。
「いいえ。お持ち下さい。買い取った値段と修理代を足しても、貴方から紹介された仕事で得たお金の十分の一にもなりませんから」
彼は流華の顔を見た。相変わらず笑顔だけれども、金を払うと言っても聞きそうにない顔だった。彼はしばらくの逡巡の後、その時計を握り締めて頷いた。
「……分かった、頂こう」
彼はその時計を受け取って、車椅子を反転させるとタクシーを拾える大通りに向かって走っていった。その背に、流華の声が静かに放たれた。
「ありがとうございました。お気を付けて」
それは彼に向けられているようで、彼のものとなった懐中時計に向けられているようでもあった。彼は去り際にちらりと流華の心を覗いたけれど、チャットの時同様、流華の心は彼の能力を退けたのだった。